2012年06月16日
【写真】西日本入国管理センターで、面会を終えた学生たち。敷地の門には「許可のない取材を禁止する」の看板=茨木市
JR茨木駅から北へ約2キロ、静かな高台に、西日本入国管理センターはある。
ここにいる外国人の多くは、退去強制処分をうけながら、帰国を拒み、比較的長期にわたり収容されている。日本に妻子がいるか、祖国へ帰れば身が危ないという難民申請者が大半だ。
2010年春、収容者がいっせいにハンストを決行した。体調が悪化している収容者たちが、仮放免を認められず、十分な治療も受けられないまま放置されている、と訴えた。
「(解熱鎮痛剤の)バファリンを見ると、いまでも入管を思い出す」。ハンスト後、仮放免が認められたパキスタン人男性は苦笑いする。どんな症状を訴えても、入管の医師はバファリンを出すだけだった、と収容経験者らは口をそろえる。男性は収容中、腰の痛みが悪化して歩けなくなり、車いすに乗って仮放免された。その後、病院で診察を受けたが、ストレスが原因ではないか、としか分からなかった。
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入管施設内の問題は、収容された外国人が送還されると、表面化しにくい。
「密室」の扉を開けたのは、市民や学生たちだった。大阪外国語大(現・大阪大外国語学部)と神戸市外国語大の学生を中心に結成された「TRY」は、06年から、ほぼ毎週、メンバーが収容者に面会している。
TRYでは、これまでの面会で、名前や境遇、健康状態などを聞き取りながら収容者のリストを作っている。新しい収容者がいないかなど、常に更新しているので、収容者のほとんどの名前は把握している。
ハンストの時も、メンバーらが施設内の詳しい状況を公表したため、事態は国会でも取り上げられた。
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今月上旬、TRYのメンバーたちがセンターを訪れた。学生たちが面会する様子を取材したいと、事前に入管に申し入れたが、「保安上の理由」で許可されなかった。名前や住所を書けば、誰でも面会できるにもかかわらずだ。
この日、集まったのは、すでに大学を卒業したメンバーも含め15人ほど。
大阪大1年の板倉美聡さんは、初参加だった。「難民というとアフリカや中東が思い浮かび、日本にいる難民は知りませんでした」
板倉さんが面会したのは、イラン人の難民申請者だったという。イランでの拷問で痛めた脚が、収容中に悪化したといい、松葉杖をついていた。面会のおわりに、板倉さんは「収容されている人のために、私たち学生は何ができますか」と尋ねた。男性の返事は、予期しないものだった。「学生はお金もないし、仮放免の保証人になれないから……」
だが、彼らのねばり強い面会は、西日本入管に様々な変化を生んでいる。
西日本入管ではいま、保証人さえいれば、半年以上の収容はまれになった。
シャワーが毎日浴びられるようになり、職員からは、「おい」ではなく、名前で呼ばれるようになった。
それでも、副会長の岸夏美さん(23)は、「常に監視を続けないと、密室のなかでまた何があるか、油断はできません」と話した。
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