朝日新聞連載「難民」(下)「第二の故郷」に恩返し 支えられ 戻る笑顔

2012年06月17日

【写真】カフェのスタッフと話すGさん(右)。温かく受け入れてくれる日本人と出会って笑顔が増えた=大阪市北区

大阪市北区の中崎町。古い建物を改装したカフェや雑貨屋が次々と開店し、若者に人気のスポットだ。一角にあるカフェ「朱夏」に最近、新しいメニューが加わった。「Gさんのカレー」(700円~)。香辛料が調和した深みのある味は、ネパール人のGさん(49)にスタッフが教わった。Gさんは難民申請者だが、在留資格がない。

カースト制度による身分差別が残るネパール。高位のカースト出身だったギリさんは、最も差別される立場の女性と恋に落ち結婚した。タブーを破ったことで、親族とその仲間から暴行され、殺害をほのめかす脅迫をうけた。

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「外国ならどこでもよかった」と2002年、単身で来日。工場で働くなどしていたが、4年後に超過滞在だとして名古屋入国管理局に捕まり、茨木市の西日本入国管理センターなどに計2年以上収容された。

仮放免の身で、難民申請は認められていない。「国に帰ったらどれだけ危ないか私しか分からない」。難民不認定処分の取り消しを求め、裁判で争っている。

今年1月、Gさんは知人の紹介で、朱夏を経営する西尾純さん(46)と出会った。西尾さんは、その時のGさんの、おどおどした態度が印象に残っている。「すいません」と謝ってばかりで、自信なさげにみえた。

途上国の支援などもしている西尾さんは、Gさんの生活支援を申し出た。
お返しにGさんは、ネパールの家庭料理をスタッフに教えるなど、できることで店に貢献している。

5月10日、Gさんはカフェの手伝いを終え、自宅に帰る途中、携帯電話が鳴り店に呼び戻された。ドアを開けると、「ハッピーバースデー」の大合唱。
Gさんの誕生日を、スタッフがひそかに準備していた。「日本に来て、一番うれしかった」。最近、Gさんに少しだけ、笑顔が戻ってきた。

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つらい体験をしたからこそ、誰かのために働きたい。そんな思いを持つ難民は少なくない。

ミャンマー人のミョウ・ミン・スウェさん(43)は、東日本大震災の後、すぐに被災地へ駆けつけ、がれきの撤去などを手伝った。「ふる里を追われた人たちと僕らの境遇は、同じものを感じる」

祖国で民主化運動に参加。91年、軍事政権の弾圧を逃れるため、大学を中退し、偽造旅券で来日した。04年、日本で難民申請したが、直後に入管法違反容疑で警視庁に逮捕され、有罪判決を受けた。収容された東京入管の施設では、手を骨折した際、病院へ運ばれるまで数時間放置された。いまも後遺症が残る。

難民申請は一度不認定になったが、異議を申し立て、05年に認められた。

07年度から関西学院大(兵庫県西宮市)が難民のために設けた奨学生制度の1期生として、国際政策を学んだ。「支援があれば、難民も能力をのばせるんです」。昨年、卒業し、現在は東京大大学院で、ミャンマーの民主化について勉強している。

関学の奨学生制度ができる前は大学はあきらめ、ハローワークで紹介された職業訓練をうけて、IT関係の会社で働いていた。「つらいこともあったけど、日本は第二のふるさと。必ず恩返ししたい」