国際空港と移民収容所という双子

(現代のことば 16/8/15 京都新聞)

藤井 光

国際空港といえば、現代における「ボーダーレス」な社会のありようを象徴する存在である。ロンドンも例外ではなく、ヒースロー空港及びガトウィック空港は、それぞれ90カ国以上との間に就航路線を持ち、2015年の利用者は両空港合計で1億人以上を数えた。

しかし、国際空港にはもう一つの顔が存在する。同時多発テロ以降に厳格化された保安態勢をはじめとして、利用客と従業員の間の収入格差、利用客の間での待遇差など、実にさまざまな「ボーダー」が存在することもまた、このグローバル空間の現実である。

それを象徴するのが、ガトウィック空港に併設された、「不法移民」向けの収容施設である。1996年に設置され、現在は2カ所で運営されているその施設は、収容者が国外退去するまでの短期間滞在を念頭に設計されているが、実際には収容が数カ月に及ぶことが常態化している。なかには、難民や人身売買の被害者として庇護を求めて入国したが、認定されないまま収容される入所者も少なくない。

施設内の貧弱な設備や人権侵害など、様々な問題を訴えるべく、イギリスのボランティア団体が活動しており、2015年には難民の元収容者たちと共同しての行進も行われた。それを引き継ぎ、イギリスの作家たちが難民収容者に聞き取りを行って物語化した『難民の物語』が、16年に刊行されている。

ガトウィックの収容センターの現状は、国家による暴力の一例とまとめられるかもしれない。しかし、施設を取り巻く現状は.もう一回り複雑である。2カ所ある収容センターのうち一つは、イギリス最大の軍事・警備会社G4Sが、内務省から委託を受ける形で運営しているのだ。いわゆる「民営化」の一環である。

民営化の論理に従えば、人権も含めた入所者の待遇は、必要経費すなわちコストでしかない。利益を確保するためにはコストが削減されるのが「善」なのであり、入所者の現状が改善される見込みは、コスト削減の論理と対外的な企業イメージを確保する必要性とのバランスに左右される。

G4Sは、ヒースロー空港とガトウィック空港の警備も担当している。ある意味では、この企業の活動こそが、本当の意味で「ボーダーレス」になったのだとも言える。グローバルなビジネスや観光の旅と移民・難民の収容所、その二つは、現代社会における双子のような現象である。

日本に住む人間にとっても、それは他人事ではない。日本国内にも同種の施設は存在するからだ。現在、入国管理センターと呼ばれる施設が、茨城と長崎に設置されている(大阪府茨木市のセンターは昨年廃止)。後者の大村入国管理センターでは、1952年に暴動が発生し、その様子は梁石日による小説『夜を賭けて』(1994年)でも取り上げられている。移民の受け入れ数や政策に注目が集まりがちではあるが、これら施設での現状にはもっと目が向けられるべきだろう。
(同志社大准教授・現代アメリカ文学)