(2014/12/25 朝日新聞)
鬼室黎 北沢拓也 2014年12月25日18時39分
【写真】アフリカ出身の男性が一時的に身を寄せるワンルームのアパート。簡素な部屋だが、エアコンがあり、食事も温められる。顔を写さないことを条件に取材に応じた=鬼室黎撮影
日本で難民申請する外国人の急増が続き、今年は1982年の難民認定制度の開始以来初めて、4千人を超えたことがわかった。日本はそもそも難民認定率が極めて低く、審査期間も長い。申請の急増が、保護すべき人の審査の遅れに拍車をかけている。
■困窮、公園で野宿
「暖かい部屋で過ごせるのはうれしい」。褐色の肌をした20代の男性は、首都圏にあるワンルームのアパートで、初めての日本の冬を過ごす。
アフリカ中部から7月に短期ビザで来目した。所持金がなくなり、秋にかけて東京都内の公園で野宿を続けた。NPO法人「難民支援協会」が用意したアパートに身を寄せることができたのは11月下旬。 難民申請したが、収入はなく、食べ物も支援に頼る。
内戦状態が続く母国で大学卒業後、政治活動にかかわっていた。仲間が次々と姿を消し、自らも警察に追い回された。「見つかる危険性が高いヨーロッパより安全では」と日本へ。「争いばかりで国には平和が訪れたことがない。社会は混乱し、庶民は底辺の暮らしをしている」
難民申請の結果が出るのに何年もかかると聞いて驚いたが、「人生を立て直す最初の一歩」と覚悟を決めて待つつもりだ。
群馬県館林市に住むミャンマー出身のロファトさん(39)は2006年に来目し、今は3度目の難民申請中だ。糖尿病を患い、「目がかすみ足がだるいが、治療費は払えない」と言う。
ミャンマー政府が国民と認めていないイスラム教徒の少数民族「ロヒンギャ」。日本で約200人が暮らすと言われ、難民認定者や「人道的配慮」による在留を認められた人もいるが、ロファトさんら約30人は就労や保険加入ができず、居住地からの移動も制限された不安定な立場だという。(鬼室黎)
■昨年の認定は6人
日本への難民認定申請者は昨年、3260人と初めて3千人を超えた。今年は11月末ですでに4500人に達している。
ただ、難民と認められる人は少なく、昨年は1年間で6人。2008年(57人)以降は減少傾向が続いている。難民として認めないものの、「人道的配慮」として国が保護した人も昨年は151人にとどまっている。難民を数万人規模で受け入れる欧米諸国とは対照的で、日本が「難民鎖国」と呼ばれるゆえんだ。
申請が認められにくい理由として指摘されるのは、審査基準の厳しさだ。難民は人種、宗教、政治的な迫害の恐れを理由に認められるが、日本は申請者に「難民であることの証明」を厳格に示すよう求める傾向が強いと言われている。
一方で、急増する申請者の中に、難民として保護すべき人は限られているとの見方もある。難民認定は繰り返し申請でき、申請中は強制送還の対象にはならない。10年には在留資格を持つ人に限り、申請から半年経てば就労を認められる制度に変わった。就労を目的とした制度の「乱用」が申請者の急増につながり、結果として、本来は保護すべき人の審査や支援が遅れるという弊害が出ている。
こうした問題点を改善しようと、法相の私的懇談会である「出入国管理政策懇談会」は昨年3月から議論を開始。近く報告書をまとめ、制度の見直しの必要性について言及する方針だ。(北沢拓也)
◇
〈難民認定制度〉
難民認定制度 国連難民条約に基づき、母国で迫害を受ける可能性のある人を保護する。日本は1981年に条約に加入し、82年に制度が始まった。難民として認められると、母国から家族を呼べるほか、就労もできるようになる。生活保護も受けられる。認定の申請に対して、法務省入国管理局が内容を調査した後、法相が判断する。不認定の決定には異議を申し立てることができ、第三者である民間の「参与員」が再び審査を行う。