落ち着ける場所:日本で難民が直面する苦境

(15/1/17 Japan Times より)

原文「Home away from home: the plight of refugees in Japan」より

By Masami Ito

難民申請は濫用を防止するために設けられてきた、官僚主義特有のスローなやり方で多くの時間がかかっていますが、その一方で、庇護申請者は長い寒い冬に中途半端な状態のままで放置されているのです。私達はそのシステムに徹底的調査が必要かどうかを検証します。

12月の寒い冬の日、東京にある難民支援協会という非営利組織の集会所会議室に1人のアフリカ人男性が座っていました。その男性は2008年から日本で難民認定を求めていましたが彼の名前と出身国は彼と家族に迫害しようとする人々から身元を守る為に公表されていませんでした。

冬服、寝袋そして毛布が入っている箱が山積みになっている部屋は庇護申請者達が直面している日本での生活の難しさを表しています。

彼の母国であるアフリカに話を戻しますと、その庇護申請者は民主主義を唱えていた野党の重要なメンバーの1人でした。彼は与党役員によって拘束され拷問を受けていると主張しています。また、彼の家族は暴行を受け、結果として彼の叔父は悲惨にも殺害されました。命からがらキリスト教会のわずかな助けを得てなんとか自国から逃げることができ、日本へ来ることになったのです。

そのアフリカ人男性の政治庇護申請は2回見送られ、今3回目の結果を待っているところです。彼はまた不認定決定を覆すことを目指して政府を相手に訴訟を起しています。

「私がなんと言おうが、どんな情報を教えようが、答えはいつも一緒で不認定なのです。それは私にとってとてもストレスなことで自分が今居る状況を想像することはとても難しいことだと思います。この循環には終わりがありません、そしてその循環は変わらないのです。」と彼は話していました。

日本は難民の地位に関する、1951年の国連条約と、1967年の議定書の加盟国であり、その元では加盟国は難民を保護する義務があります。条約の一条には難民の定義がされており、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人々と書かれています。 それとは別に日本では正式にこの年に出身国から逃げキャンプの中で一時的に生活している難民を助ける為に第3国定住プログラムを設置しました。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2013年世界中には5120万人もの難民と国内避難民がいます。これは約70年前に終結した第二次世界大戦以来最も多い人数と言われています。この人数の中で、最近のシリアやイラク暴動からは1200万人以上出ています。その状況について、難民高等弁務官事務所のアントニオ・グテレスが最近東京に訪れた際に、最近の出来事の間で巨大な危機であると述べました。2013年に難民を救済する世界戦略の支援するため、日本は多大に貢献していて、UNHCRに拠出している国の中で2番目に位置しています。

しかしながら、日本国内での現実は全く別物でありました。2013年には過去最多の3260の難民申請が提出された内、たった6人の難民申請しか認定されませんでした。2011年に起こったシリア内戦が起こって以来56人のシリア人は難民申請を提出していたが認定されませんでした。しかし、その内の34人は人道的な理由として特別に日本へ居住する許可を得ることが出来ました。

2014年の難民申請の数は11月末には4500を上回る数となりました。難民支援協会の代表石川えりは最終的な年間難民申請数が約5000人に到達するだろうと予測していている一方で、難民申請が認定された数は二桁を割る可能性が高いだろうと懸念しています。

「たくさんの人々が無視されています。 難民認定制度は本来難民を守る為にあるべきなのですが、現実はそうではなかったのです」。と石川は主張します。

難民認定法の元では、入国管理局がそれぞれの難民申請を調査し、法務大臣は最終判決を行うのです。もしその難民申請が否決された場合は、保護申請者は異議申し立てをする権利があります。法務大臣は難民不認定となった申請者に対し人道的理由による特別在留許可を供与しています。

しかしながらその制度は処理のスピードが遅すぎること、透明性の欠如、そして低い認定率ということで非難されているのです。

専門部会はその制度の見直しと改善を提言するために初めて11月に招集されました。1年以上の審議の後、専門部会が12月行った最終決議では、政府は国連条約で難民と認められていないが、ある程度の保護を必要とする難民申請者を助けることが可能な公的制度を導入するべきであるとしており、それには戦争難民や、女性器切除の慣習を依然として有している国の女性を保護することが含まれています。

また政府が難民認定の決断基準を明確にして、そしてUNHCRが発行している書類や他の国際慣行や判例を用いて信頼性を高めるべきだということを提案しています。この提案は法務省入国管理の一部見直しとなるだろうとされています。この見直しでは政府が三月の会計年度末までに決着を付けることを目的としています。

日本UNCHR代表であるマイケル・リンデンバウアーは、上記の提案を歓迎し、日本UNHCRは法務大臣が申請書を迅速にそして正確に処理出来るようにその専門知識を共有する準備ができていると強調した。日本では近年難民申請の数がめまぐるしく増え続けているが、他の国と比べれば処理可能なはずです。

リンデンバウアーが言うには、「正しく機能している庇護申請者制度であればこの程度の数は容易にこなせるはずであり、そして混乱はないはずです。日本政府は迅速に決定出来る制度を持てるはずなのです。そしてまた難民にとって迅速な審査はとても重要なことであり、そこで明確な統合過程となることも重要なのです」。

政府は日本で働く為にやってきて保護を求める人達から本物の難民を見極める方法を見つけ出すのに苦戦しています。

長らく庇護申請者は働くことを禁止されていました。しかしながら、2010年の法律の見直しで、もしビザの有効期限内に申請を提出していて、かつその過程が6ヶ月以上かかってしまうような場合に、申請者は働くことができます。

入国管理の専門家は政策の変更は申請の数が毎年、急増する原因になるだろうと確信しています。その中には強制送還から逃れる為に何度も申請する人もいるのです。

審査過程はさまざまな情報を元に行われるべきだとリンデンバウアーは仰っています。ジュネーヴにあるUNHCR本部では、例えば2013年に20万人の難民申請を処理する際の経験のみならず、膨大な出身国情報と分析にアクセスできます。NGOはまた洞察力のある情報を提供することが出来ます。

諸政府の対外レポートは役に立つ可能性があるが、レポートの詳細な箇所は、二国間の関係に及ぼす影響を考慮に入れているのでそれらのレポートの情報を加えることは時折注意深く検証されるべきであると、リンデンバウアーは主張しました。

「出身国情報を得ることはとても簡単に聞こえますが、実際はとても複雑なのです。(この情報を使用して)あなたはチェックする機会を得るのです、というのは、当該事例の信ぴょう性を得る為、そしてあなたが正しい判断をして、本当に国際的な保護が必要な人々を守っているという確証を得るためにとても重要だからです」、とリンデンバウアーは仰っていました。

日本の認定率は他の国に比べ極端に低くなっています。全国難民弁護団連絡会議(全難連)がまとめたデータによると、2013年には何万人もの難民がアメリカ合衆国やヨーロッパでは認定されています。大韓民国でさえ57人に難民認定を与えています。そのうち10人は訴訟を起こして難民申請を勝ち取りました。

法務省の専門部会のメンバーの1人であり、全難連の代表の弁護士渡邉彰悟は不正を防ぐ必要はあるが難民認定基準の優先順位を決めることが重要あったということを理解していると仰っています。もしたった6人だけが(2013年に)難民認定されたのであれば、これは制度のどこかに間違いがあるのは明白でしょう。「日本は平等さや正確な決断が出来るように客観的な基準を設け、また基準はUNHCRの力を借りて作る必要があるでしょう。これが制度を濫用から守る為に一番良い方法であるはずです」と、渡邉は仰っていました。
1990年代からずっと渡邉は庇護申請者の助けを行っていました。彼はミャンマー人の申請者の対応をすることを専門としていました。過去20~30年間で難民認定された全ての申請者のほとんどはミャンマーから来た人達でした。入国管理局は全ての申請書はケースバイケースを基準として判断していると強調している一方で、両国間でとても良い関係であるトルコからの庇護申請者の中で未だに難民認定された人はいません。トルコ人の難民申請者数は一番多いにもかかわらずです。「もしも私達でさえ現在、判定が正しく言い渡されているのかどうか分からないならば、一体どうすれば制度が濫用されているか否か議論できるでしょうか。もし申請者が濫用者だとみなされているなら何が実際に難民と呼べるでしょうか」と、渡邉は問いかけています。

その申請プロセスにかかる時間は、平均的に、2~3ヶ月から数年間の範囲でたくさんの庇護申請者は曖昧な状態のままで捕まっている。

日本での庇護申請者の生活は容易なものではありません。NGO、例えば日本難民支援協会は食べ物、シェルターそして衣類を提供していますが、彼らの資源には限りがあります。何人かはホームレスになり、日本難民支援協会で営業時間中、廊下で冬の厳しい寒さから逃れる為に睡眠を取る庇護申請者達がいるのです。オフィスが閉まった後は、街をぶらぶらと放浪したり、少しの間休憩としてコンビニを利用したり、24時間開店しているマクドナルドやインターネットカフェやそして公園で寝て過ごしている状態です。

入国管理局は庇護申請者を直接難民支援協会に託すことがあるというが、しかし石川はこの状況は理想の形ではないと主張しています。「私達との間に信頼関係や協力関係が形成されるというのはとても良いことなのですが、難民支援の責任はNGOではなく政府組織にあると思うのです」と、石川は仰っています。「政府はセーフティネットに欠陥がないということを確認する必要があります」。

アフリカ人の庇護申請者にとって日本での生活は公園で歩くようなことではなかったのです。彼は働くことを許可されていないのでお金を持つことが出来ませんが、親切な管理人が貸してくれる古いアパートに部屋の掃除をすることと引き換えに住んでいます。去年の冬、彼は凍えながら日本難民支援協会を訪ねてきました。電気やガスが止められているからです。彼は困窮にも関わらず、支援してくれるたくさんの日本人の友人を作ることができました。彼らは日本政府に彼が難民の地位か又は他の滞在許可を与えるよう文書を送りました。

アフリカの男性は将来の心配をしながら継続して彼の民主的な活動を行っています。「私達難民は助けが必要です。しかし次に何が起こるのか私にはわかりません。そして本国送還されるかもしれないことがとても怖いのです。もしこれが日本に来た難民達の運命であるならばそれはとても悲しいことです」と、彼は言いました。「日本の人々は良い人達だがこの制度は見直す必要があると思います。私は希望を失い始めています」。

(翻訳  福本(RAFIQ))

原文「Home away from home: the plight of refugees in Japan」より