(14/8/1 読売新聞)
申請者と交流、住居提供
日本で難民申請をする外国人が急増する中、大阪市北区の中崎町で、難民申請者を地域ぐるみで受け入れる取り組みが始まっている。不安定な立場にある申請者に住まいを提供し、地元の夏祭りに参加してもらったり、交流イベントを開いたり。住民は「難民問題は遠い外国の話ではない」と話しており、専門家は「市民の意識を草の根から変える一歩になる」と注目する。
中崎町は梅田の繁華街からほど近く、古い街並みを残す下町。7月の夏祭りは地域の大切な行事だ。
「Gさん、こっちこっち」。法被姿の住民らに促されながら、ネパール人のG・Nさん(51)が神妙な面持ちでちょうちんを掲げていた。子供たちの獅子舞の先導役という大役を任されたのだ。町会長の渡部有文さん(73)は「祭りの準備も一生懸命やってくれた。すっかり町の一員ですわ」と話す。
◆8人引き受け
難民申請中のGさんは3年前からここで暮らす。
民家を改装したカフェや宿泊施設を営む西尾純さん(48)が、大阪府高槻市の支援NGO「ラフィック」の田中恵子さん(60)から頼まれ、受け入れた。
Gさんは、母国ネパールのカースト制で最高位の家系だったが、最下層の女性と結婚したために地域で激しい暴行を受け、2002年に日本に逃げてきた。07年に難民申請し、その後入管施設から仮放免された。1度不認定とされ、現在は再申請中だ。
当初、難民問題についてほとんど知識がなかった西尾さんは「カフェの皿洗いでも手伝ってくれたらいい」という軽い気持ちだった。しかし、Gさんの体験を聞いて関心を持ち、命からがら日本に逃げてきた多くの申請者が、不安定な生活をしていると知り、昨年4月から一時的な住まいとして2部屋を同NGOに貸し、これまで申請者8人を引き受けた。
◆増える理解者
ナイジェリアでイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」に襲撃され、逃げてきたキリスト教徒の男性。パキスタンで女性のための学校を作るなどし、イスラム武装勢力「パキスタン・タリバン運動(TTP)」に命を狙われたという男性。アフリカの紛争地域から逃れてきたという人たちもいた。
「密入国者をかくまっている」と誤解され、110番されたこともあったが、西尾さんは町内会などに呼びかけ、母国料理や文化を紹介し、経験を語り合う月1回の「難民カフェ」など交流イベントを開催したり、申請者を町内会の行事に参加させたりして、理解者を増やしてきた。
Gさんは西尾さんのカフェを手伝い、母国のカレーを作るなどして過ごす。「近所の人とも仲良くなり、ここは第二の故郷」と話す。その後ほかの場所に移った申請者たちも、しばしばカフェに立ち寄るという。
難民申請中の仮放免者は在留資格がなく就労も認められていない。同NGOは年間数人の身元保証人となり、援助しているが、多くの支援団体は資金や人材不足のため、相談にとどまるなど十分な支援ができないという。
西尾さんは、若い頃から世界中を旅し、各地で食事や宿泊で世話になった経験から「恩返しする機会にもなる」と考えた。「難民や申請者が地域の一員として普通に生活できる街のモデルケースにしたい」と言う。
2014年08月01日
※ 原文はイニシャルでなく、実名です。