日本の「門」は狭すぎる 急増する世界の難民

(14/7/6 信濃毎日新聞社説)

内戦や武力紛争がやまない世界。日本が担うべき役割とは何だろうか。解釈改憲で海外での武力行使に踏み出すことでも、非軍事主義を貫いてきた政府開発援助(ODA)の原則を見直すことでもないはずだ。平和憲法の下、なすべきことはほかにある。

世界の難民が急増している。国連が定める「世界難民の日」の6月20日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、国外へ逃れた難民や国内避難民が2013年末時点で総計5120万人に上ると発表した。前年末から600万人も増加。第2次大戦後初めて5千万人を超えた。

とりわけ、内戦が長期化するシリアからの大量の難民流出は深刻だ。13年末の247万人が今年に入ってさらに増え、6月には290万人に達している。

人口約480万人のレバノンが100万人を超す難民を受け入れているのをはじめ、周辺国はすでに“飽和”状態にある。市民生活に影響が及び、難民への食糧や医療の提供も十分ではない。

イラクでもイスラム過激派勢力と政府軍の戦闘が激化し、今後、大量の難民が国外に逃れる心配がある。UNHCRは「中東地域が新たな難民に対処するのは国難」と指摘している。

停戦や和平に向けた外交努力が欠かせない一方で、増え続ける難民をどう保護していくか。日本を含む先進国は、周辺国に逃れた難民を自国に受け入れる第三国定住の制度などによって、積極的な受け入れを図る必要がある。

日本に逃れてくる人も増えている。13年は過去最多の3260人が難民認定の申請をした。
しかし、認定されたのはわずか6人。前年より12人減り、1997年以来の1桁となった。認定難民とは別の第三国定住での受け入れも、12年はゼロ、13年は18人にとどまっている。

シリアからは、13年までの3年間に50人以上が難民認定を求めたが、1人も認められていない。人道的配慮から在留を特別に許可しているものの、認定された場合と異なり、定住のための、語学や就労の公的支援は受けられない。家族を呼び寄せることも難しい。

<厳しい姿勢変えず>

13年に米国は2万1千人余、ドイツは約1万人、フランスは約9千人を難民認定している。

日本政府は、難民支援に多額の財政負担をしてきた。UNHCRへの拠出額は長年、米国に次ぐ2位だ。その一方で、受け入れ数が欧米諸国に比べ圧倒的に少ないのはなぜか。認定基準の厳しさが背後にある。

難民条約は、人種や宗教、政治的意見などを理由に迫害を受ける恐れがあるため他国へ逃れた人を難民と定義する。条約ができたのは東西冷戦下の51年。その時代背景から、「政治難民」の保護を想定していた―と、元UNHCR駐日代表で東洋英和女学院大教授の滝沢三郎さん(東筑摩都筑北村出身)は指摘する。

60年余を経る中で、状況は大きく変わってきた。今、大多数を占めるのは、戦争や内戦から逃れる「紛争難民」だ。彼らは、厳密には条約上の定義に当てはまらない。深刻化する難民問題に国際社会の対応が追いつかないのは、そこにも理由がある。

人道上の危機を前にして、UNHCRは難民の解釈を広げる保護の指針を示し、条約加盟国に受け入れを進めるよう求めてきた。けれども日本は、あくまで「条約に言う難民」を対象とする姿勢を変えていない。

制度上の問題も大きい。不法入国を取り締まる法務省入国管理局が難民認定も担うため、難民が保護ではなく「管理」の対象になっていると批判されている。難民であることを申請者が証明する責任も重く、「保護すべき人がはじかれてしまう」とNPO法人難民支援協会の田中志穂さんは言う。

<市民の側から声を>

難民支援は、戦争放棄を憲法に掲げる日本が率先して担うべき、武力によらない国際貢献だ。受け入れは他国に任せ、お金は出す、という姿勢ではもはや立ちゆかない。制度を抜本的に改め、閉ざし続けてきた門を開くときだ。

問われるのは、政府の姿勢だけではない。母国から苦難を逃れてきた人を社会にどう迎え入れていくか。それは、私たち自身が考えなければならないことだ。地域や市民の側から声を上げ、政府を動かしたい。