(10/9/28 朝日新聞)
ミャンマー(ビルマ)の軍事政権から迫害を受け、タイの難民キャンプで暮らしていたミャンマー難民3家族18人が28日午前、来日した。紛争や政治的迫害で母国を逃れ、避難先の国でも定住できない難民を日本政府が受け入れる「第三国定住」のミャンマー難民第1陣。来日した男性の一人は「日本はみたことがない国で素晴らしいと思った。来ることができてうれしい。できれば農業の仕事をしたい」
と話した。
日本は3年間で約90人のミャンマー難民を試験的に受け入れる。第1陣は5家族27人の予定だったが、高熱が出るなどして体調を崩したため、9人の来日が遅れるという。
27人はカレン族で、タイ北西部のミャンマー国境近くにあるメラ難民キャンプで暮らし、日本政府の面接や健康診断を通じて選ばれた。東京都内で約1週間のオリエンテーションを受けた後、半年間、定住に向けて日本語や生活習慣の研修を受ける予定だ。
成田空港の到着ロビーでは、赤や青の鮮やかな糸で織った民族衣装に身を包んだミャンマー出身者たち約50人が、「ようこそ日本へ」とカレン語と日本語で書かれた横断幕を手に出迎えた。自らもミャンマー難民である関西学院大4年ミョウ・ミン・スウェさん(41)の姿があった。
ミョウさんが日本に来たのは1991年。05年に難民認定を受け、37歳で関西学院大の難民奨学生に選ばれた。「平和な国で自分の夢を追いかけられるのは本当に幸せなこと。早く日本の暮らしに慣れ、夢を持てるよう応援したい」と語る。
半年間の研修だけで社会に出されることを疑問に思うミャンマー出身者もいる。
東京・高田馬場で焼き肉店を開く男性(46)は民主化運動に参加し、89年に来日。難民申請を出したが認められず、人道的理由から法務大臣が滞在を認める「在留特別許可」を得て暮らす。
都内の焼き肉店で約20年働いた。日本語は習ったことがなく、職場でペンと紙を持ち歩いた。08年にようやく念願の店を開いた。仲間の就職先を増やしたいと、7人の従業員はみなミャンマー出身者だ。
ただ、不景気で仕事を失った仲間も多い。男性は「半年間日本語を学んだだけで自立しなさいと言うのは、泳げない人を海に連れていってさあ泳げと言うのと同じ。どうすれば一緒に日本の社会で生きていけるのか、日本人も一緒に考えてほしい」と話す。(宮嶋加菜子)
【写真】日本に到着し、支援者と共にバス乗り場に向かうミャンマー難民の家族ら=28日午前9時1分、成田空港、細川卓撮影