(10/9/27 朝日新聞)
ミャンマー(ビルマ)から国境を越えてタイの難民キャンプで暮らしていた少数民族カレン族の5家族27人が28日、来日する。日本政府が試みる「第三国定住」難民の第1陣だ。だが、ミャンマー軍政の迫害や紛争を逃れて日本国内で暮らすカレン族はすでに、東京を中心に約100人いるという。その一人、都内に住むソー・バラ・ティンさん(41)は新たな仲間の到着を心待ちにしている。(武井宏之)
バラ・ティンさんはミャンマーの最大都市ヤンゴンに住む高校生だった1988年、民主化デモに参加。90年の総選挙後、仲間が次々と軍事政権に拘束される中、タイに逃れた。観光ビザで来日したのは92年10月のこと。「ビルマ国内に居続けるのは無理だった。命を失う危険もあった」
以来、茨城県の工場や都内の飲食店で働いた。2004年9月に難民申請し、06年1月に認められた。
02年には、付き合っていた女性(38)を日本に呼び寄せて結婚。長女(3)と長男(1)が生まれた。今、家賃7万5千円の2DKのアパートに住む。月収は飲食店で働くバラ・ティンさんの20万円ほどだけだ。「自分が病気になったら家族はどうなるのか」と不安だが、「難民キャンプにいるよりは日本に来た方がいい」と言う。
「難民キャンプでは仕事もない。死ぬまでそこで暮らすことになるかもしれない。それに比べたら希望がある」。76歳の母は、姉とその子どもと一緒に難民キャンプに逃れ、今も住んでいるという。
日本での生活は、やはり言葉が大きな壁だという。バラ・ティンさんは日本語を日常の仕事を通じて覚えたが、読み書きはあまりできない。「仕事をしながら本格的に勉強する機会が必要です。日本語ができないと、子どもにも教えてあげられない」。第三国定住の27人は来日から半年間、都内の施設で日本語を学ぶことになっているが、「十分ではない」と心配する。
難民キャンプで生活するカレン族の多くは、ミャンマー政府軍とカレン族の武装組織との紛争から逃れた人たちという。キャンプ暮らしが長期に及ぶ人や、キャンプで生まれ育った子どもも多い。バラ・ティンさんは「日本の交通機関の使い方や買い物の仕方、文化を教えるなど、自分にできることがあれば力になりたい」と話している。
【写真説明】
「難民の日本語教育に力を入れてほしい」と話すソー・バラ・ティンさん=中央区