避難民「家も仕事も希望も失った」 アフガン、遠い自立

(17/9/5 朝日新聞)

カブール=乗京真知2017年9月5日03時04分

【図表】混迷するアフガニスタン

紛争が長引くアフガニスタンで、避難生活を送る人の数が最近急増している。トランプ米大統領は8月、米国のアフガン新戦略を発表。米軍の駐留を続ける方針を示したが、悪化し続ける治安は、経済や教育などにも影を落とす。タリバーン政権崩壊から年末で16年。「自立」への道はなお険しい。(カブール=乗京真知)

家財を積んだトラックが砂煙を上げ、アフガン東部の山道を走る。「母国は38年ぶりだ。まずは仕事がほしい」。7月初旬、ムハマド・ジャン・カーンさん(50)はパキスタン北西部の難民キャンプを離れ、家族とアフガンに戻った。当面は親戚の元に居候する。

道すがら首都カブールにある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民センターに立ち寄った。家族10人を帰還民として届け、1人約200ドルの支援金を受け取った。「パキスタンで生まれた子供たちは言葉が通じない。学校に通えるだろうか」

1979年のソ連軍侵攻やその後の内戦などで、アフガンからパキスタンへの難民流出は40年近く続いてきた。ところが昨年中ごろから人の流れが逆転。パキスタン政府がアフガンとの外交関係の悪化を理由に難民キャンプの閉鎖を始め、昨年だけで約37万人がアフガンに押し返された。

パキスタンには、なお約140万人のアフガン難民が残る。難民の数としては世界第2位の規模だが、戦闘が続くアフガンへの帰還を迫られている。

難民センターで働くグル・モハマド・ファナさん(33)は「6月には多い日で200世帯が訪ねてきた。家や働き口があるわけでなく、社会問題になっている」と話す。アフガン政府によると、人口が集中する都市部では住民の7割超がスラム街で暮らす。

国内避難民も2年間で倍増し、過去最多の約180万人に達した。反政府勢力タリバーンや過激派組織「イスラム国」(IS)と政府軍との戦闘が全34州のうち20州以上に拡大しているためだ。民間の死傷者数は昨年1万1千人を超え、記録が残る09年以降で最多となった。

中部ガズニ州の農夫アブドル・ガファルさん(38)の村では6月、タリバーンの攻勢で警察が撤退。タリバーンによる上納金の徴収が始まった。

ガファルさんは「住民は恐怖で文句が言えず、監獄のようだ」とカブールで落ち合った記者にこぼした。いまはトラック運転手の出稼ぎで金をためており、近いうちに家族と都市部に逃げるつもりだという。

国連人道問題調整事務所(OCHA)は「日に約800人が避難民化している」と警告する。

逃れた欧州から戻される人も増えている。東部カピサ州出身の無職シャムスラフマンさん(21)もその一人。11年に野菜を積んだトラックに潜むなどして3カ月以上かけて渡英した。

だが、難民申請が3回却下され、最後は手錠をかけられて強制送還。「安全に暮らすためならと家も仕事も手放した。そして、希望も失った」。欧州から戻った人は、16年だけで約1万600人に上った。

■治安悪化、細る援助

トランプ米大統領は8月21日、米兵約4千人の追加派遣をにらんだ新戦略を発表した。北大西洋条約機構(NATO)も増派を検討している。だが各国とも自国兵士の被害を抑えたい考えで、任務の大半は後方支援にとどまる見通し。戦況の打開は容易でない。

治安の悪化は経済に影響を与える。中部バーミヤンにある世界遺産の仏教遺跡。かつては断崖に彫り込まれた大仏(高さ55メートル)が年6万人の観光客を集めたが、7月に訪れると、遺跡前には銃を下げた警備員のほかに人影がなかった。

偶像崇拝を禁じるタリバーンが01年3月に大仏を爆破、さらに国内で相次ぐテロで外国人離れが加速した。観光ガイドのナスルラ・バミックさん(36)は「研究者もめっきり減った。関心が薄れ、遺跡の修復も滞っている」と話す。

世界銀行やアフガン政府によると、国内総生産(GDP)は過去10年で約3倍の約195億ドル(約2・1兆円)に増えたものの、13年からは1~2%台の低成長が続く。国内の失業率は今年、19%を超えた。

教育や福祉は改善の途上だ。女性の教育を禁じたタリバーン政権時代、小学校から大学までを合わせた就学者は100万人程度だった。16年までに約918万人に増えたものの、全国に約400ある地区の半数に女性教員がいない。

医師や病床も足りない。テロが多いカブールの救急病院には年3千人以上が運び込まれる。
ある医師は「けが人が大挙すると通常の手術や出産が止まってしまうので、受け入れない病院もある」と語る。

背景には国家予算が治安維持(61%)に費やされ、教育(13%)や福祉(1%)が後回しになっている事情がある。歳入の約7割を国際援助に頼るが、援助活動を狙った攻撃などが今年前半に174件起き、20人が誘拐された。

各国が、中東・アフリカ地域での過激派対策に資金を振り向けるなか、今年のアフガンへの援助総額は最大でも38億ドル。ピークだった11年の約6割に減る見通しだ。

■タリバーン台頭後のアフガニスタン

1996年9月 タリバーンが首都カブールを制圧、政権樹立
2001年9月 米同時多発テロ
    12月 米軍主導の空爆でタリバーン政権崩壊、国際治安部隊が展開開始
 05年ごろ  タリバーンが自爆テロを戦術に採り入れ、攻勢を強める
 14年12月 国際治安部隊が任務を終え、大半が撤退。タリバーンが勢いづく
  15年1月 過激派組織「イスラム国」(IS)の支部が活動を始める
    10月 16年末までに撤退予定だった米軍が駐留延長し、部隊1万人弱が残ることに
  17年1月 トランプ米大統領が就任。その後、米軍増派の検討が始まる
     4月 米軍が大規模爆風爆弾「モアブ」をIS支部の拠点に投下
     5月 カブール中心部で大規模な爆破テロがあり、150人以上が死亡
     8月 トランプ大統領が米国のアフガン新戦略を発表

■発展へ国際社会が協力を

4月末から5月初めまでアフガニスタンを訪れた国連広報センターの根本かおる所長に、市民生活の現状や国連の活動などについて聞いた。

 国連の活動を視察するため、首都カブールとバーミヤンを訪ねた。現地では治安の悪化を実感した。カブール市内を車で移動中に突然、後方から爆発音が聞こえ、黒煙が上がった。北大西洋条約機構(NATO)の車列を狙った過激派組織「イスラム国」(IS)の自爆テロで、少なくとも8人が死亡したという。
頻発するテロは住民の活動を制約し、経済に悪影響を及ぼす。国連は治安回復に向け、周辺国にも協力を求め、タリバーンとの対話も否定していない。
タリバーンが一定の支持を集める背景には、腐敗や汚職がはびこる行政機関への住民の不満がある。国民が信頼する公正な行政運営に向けて、政治家や公務員の意識改革も必要だ。
私が話を聞いた住民からは、将来を悲観して「機会があれば、国外に出たい」との声も少なくなかった。パキスタンやイランに逃れた難民は昨年半ばの時点で、登録者だけで計250万人。実際の避難民はその倍と言われている。だが、昨年からはアフガンへの帰還ラッシュが起きている。
カブール近郊の帰還民支援センターを訪問した。パキスタンから帰還した人たちに話を聞いたところ、避難先では警察や入国管理当局による家宅捜索など、退去を求める圧力を度々受けたという。パキスタンの治安悪化も、帰国を決断する要因のようだ。
アフガン経済は、外国からの支援に依存しており、将来的には経済構造の変革が必要だ。帰還した住民の労働力をどう生かすか。まずは農業の生産性向上が急務だ。この分野でも日本の貢献が期待される。
バーミヤンで意見交換した元州議会議員の女性は、私にこう語った。「女性が教育を受ければ、家族全体が教育を受けることにつながる」。国民の半数は女性だ。アフガンの発展に向け、女性の社会進出を促進するための環境づくりにも、国際社会の協力が必要といえる。(聞き手・鈴木拓也)