(17/7/24 朝日新聞)
2017年7月24日 05時00分
この地球に暮らす113人に1人が紛争や迫害で家を追われている。未曽有の人道危機といっても言い過ぎではあるまい。
国内外に逃れた避難民や難民が昨年末、第2次大戦以降で最多の6560万人になった、と国連が発表した。
日本に保護を求める人も年々増え、昨年は今の難民認定制度ができた1982年以降で最多の1万901人になった。
だが難民認定されたのはわずか28人。他の先進国と比べて桁違いの少なさで、認定率も際だって低い。彼らに安全な場所を提供する国際責務を日本が果たしているとは到底いえない。
法務省は、就労が目的で難民認定を求める「偽装」が多いと説明する。本来救済すべき人の審査が後回しにされたり、認定まで時間がかかったりしているならば、ゆゆしき問題だ。
明らかな「偽装」は、手続き段階のなかで早期に防ぐ制度の改善は必要だろう。
それでもなお「日本は難民認定のハードルが高すぎる」との声が専門家の間で根強い。難民の定義をあまりに狭くとらえているという指摘だ。
たとえば、出身国の当局から反政府活動家などと目をつけられた個人でなければ、なかなか難民と認めてもらえない。
紛争地や圧政国では、支配する側と違う政党、宗教、社会集団に属しているだけで一般市民も迫害の標的になりかねない。
所持品も十分持たずに異国に逃れた人に、「迫害されたことの証明」を過度に求める審査のあり方にも問題がある。
そうした中、画期的な判決が名古屋高裁で昨年確定した。
出身国で野党の指導的立場になかったことを理由に難民と認められなかったケースで、それを適法とした一審判決を退け、「指導的立場でないことが、難民であることを否定する根拠にならない」とした。
また、本人の説明内容に変遷があっても、迫害をめぐる中核的事実に一貫性があれば信用性はあるとの判断を示した。
優先すべきは、「いかにふるい落とすか」より、「生命や安全が脅かされている人をどう救うか」という視点だろう。
有識者が不服審査にかかわる参与員制度が05年に導入されたが、審査の透明性と公正性を高めるさらなる工夫も必要だ。
最近、難民を支援する国際機関や団体に寄付する市民や、難民の受け入れに意欲を示す企業や大学が日本でも増えている。
困っている人を助けたい。そう心から願う日本人が誇れる難民制度を望む。