(12/3/15 朝日新聞)
メディア掲載記事
2012年3月15日 朝日新聞「私の視点」(寄稿 アムネスティ・インターナショナル・日本)掲載
難民認定制度が、日本に合法的に滞在する目的で悪用されたり、難民認定申請中の外国人が保護費を不正受給したりと、制度の乱用が指摘されている。しかし、仮に乱用が疑われる人がいるといっても、その何十倍もの数、真に難民として認められるべき人がいることを、見過ごしてはならない。欧米では一国で毎年数千人もの人びとが難民として受け入れられている中で、日本での難民認定数は、わずか数十人である。
現状の日本は、難民を迅速に適切に審査し、保護する仕組みであるとは言いがたい。さらに、認定を受けた人びとの出身国も一部の国籍に偏っている。今まで認定を受けた人びとは、ミャンマー国籍者が中心であり、ミャンマーに次いで申請者が多いトルコのクルド民族は、過去に一人も認定を受けたことがない。恣意的と評価されてもおかしくない運用である。
法務省は結果が出るまでの処理期間の短縮のために、認定業務に携わる者を増員したものの、申請者の急増のペースに追いついていない。一次審査が短縮されても、異議申し立てが長期化された結果、行政手続きの期間は延べ2年かかる。難民は働くことが認められていないことが多く、政府から支給される保護費が生きていくための唯一の命綱だ。
認定が容易ではない背景に、難民認定特有の難しさが存在する。命の危険を感じて国外に逃れた難民が、自身の証言を十分に裏付けるだけの書類を持って来日するのは容易ではない。難民であるかどうかを適切に判断するためには、時間も、国際法や難民の出身国に関する高い専門知識も、要求されるのだ。
国際機関や日本弁護士連合会は、再三にわたり日本政府に、難民申請者の生活水準や医療ケアに対する権利の確保を求めてきた。民主党は2009年の政策インデックスで、難民認定行政を法務省から切り離すこと、さらに、難民への生活支援、難民申請者への処遇を改めるため、「難民等の保護に関する法律」の制定を表明したが、今日までその約束を果たしていない。
恣意的な逮捕や拘禁、拷問などの生命・身体への深刻な脅威から逃れてきた人びとが求めているのは、人として生きる権利である。明確な乱用者を除き、申請受理の段階で真に難民性の有無を判断することは不可能だ。かといって運用をより厳格化し、真正な難民をさらに追い詰めることがあってはならない。
難民認定手続きを適正にすることの必要性は言うまでもない。加えて求められることは、彼らが認定を待つまでの期間、基本的な人権を保障することだ。一部の乱用者を一般化し、人間らしく生きたいと願う人びとを犯罪者と結びつけ、彼らに手を差し伸べることを躊躇すべきではない。