難民問題資料 ビルマ・ロヒンギャ

※ メディアが表記している「ミャンマー」とここで表記している「ビルマ」とは同一の国のことでどちらも「ビルマ民族」という意味だそうです。ビルマには130以上の民族が確認されており、ビルマ民族だけの国ではありません。「『ミャンマー』は軍事政権が名付けた国名」とビルマ難民は認識しており、私たちはビルマ難民の認識を尊重して「ビルマ」と表記・表現しています。

ビルマとバングラデシュが接するアラカン州に多く住んでいる人々。
仏教国といえるビルマの中で、彼らはイスラム教徒です。中世の時代に商人として各地を渡り歩いたロヒンギャの人々は、ビルマ・アラカン州とバングラデシュの国境付近に腰を落ち着けることになるが、両国ともロヒンギャの人々を自国民として見ていないので、迫害を受ける対象になっている。第2次世界大戦時にビルマを支配していたイギリスから日本に一時的に支配が移り、そのさなかに宗教別に軍隊を作り、お互いに戦わせたといいます。現在、ビルマ国内でたびたびあるという宗教対立を作り出した根底には、日本の戦略が関係している。日本も宗教対立に無関係ではないということです。
ビルマ軍政からの迫害は、1978年、1982年、1992年と居住地域から追い出したり、強制労働に駆り出したりしている。その都度、20~30万人の人たちがバングラデシュに難民として出ています。
しかし、バングラデシュも最貧国なので、受け入れる用意はなく、数万人が追い返されるという経緯をたどってます。

ビルマ軍政は、1982年ごろ、ロヒンギャの人々をビルマ国籍を認めない方針を打ち出し、バングラデシュからの移民だから、違法移民として取り締まっています。ビルマの国籍を持てない多くの人たちは無国籍状態であるようです。国民としての権利は認められず、公的教育も受けられていない人がほとんどです。

2011年秋以降、スーチー氏が自宅軟禁を解放されて以来、少しずつだが、民政移管が進み民主化を推し進めようとしていますが、ロヒンギャの人々が住むアラカン州周辺は以前よりも悪化しています。
宗教的な対立がそこにあっても取り締まることさえもせず放置あるいは加担している現実があります。
バングラデシュにいるロヒンギャ族も同様なことで、人々はボートピープルとなってビルマ、タイ、マレーシア、インドネシア付近に漂流し流れ着いたところで、入国や上陸を拒否されたり、迫害を受けたりしている現実は変わっていません。
2017年 8月下旬に起きたラカイン州でのビルマ国軍による武装勢力掃討で、隣国バングラデシュへ避難する人たちが過酷な状況で避難生活を続けています。
ビルマ・ラカイン州への帰還政策を進めようとしていますが、進んでいません。なぜなら、帰還しても「(不法)外国人」という根本的な扱いは変わらないからです。そして、世界の人々からロヒンギャ難民や根本的な問題が忘れ去られようとしていくのではないでしょうか。

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