難民問題資料 アフガニスタン

私たちRAFIQが最初に出会った難民はアフガニスタン人、それも日本人によく似たモンゴル系のハザラ人でした。

時は2002年。前年にアメリカで同時多発テロ事件があり、当時のブッシュ大統領がテロの首謀者がアフガニスタンにいるとアフガニスタンに侵攻した次の年です。西日本入管 (大阪府茨木市、2015年廃止)はじめ、多くの入管で、アフガニスタン人が難民として認められず、入管に収容されている時期でした。

RAFIQが設立する前から初期メンバーが西日本入管センターで、アフガニスタン人に面会し、どのような状況で難民申請をしたのか、収容での処遇など聞き取り、日本での「難民」問題・「入管収容」問題を考える原点になった人たちです。

収容されていたアフガニスタン人の多くは、アメリカが侵攻する前に、タリバン政権による迫害の恐れがあるとして、日本に助けを求めていました。侵攻後、タリバン政権ではなくなったが、政権を担う人たちがタリバンでないだけで、ハザラ人を昔から迫害し続けていたグループの人たちであり、タリバンも2019年の今も消滅したわけではありません。

その後のアフガニスタン人の多くは認定されたり、在留資格を付与されたりしていますが、10年以上仮放免状態(在留資格が与えられない状態で入管に収容されていないが、監視下にある状態)のまま、日本国内でひっそりと暮らしている人もいます。

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