カテゴリー: 書籍

なんみんハウス資料室便り 11号

長坂道子『難民と生きる』新日本出版社、2017年3月

こんばんは。なんみんハウス資料室室長nonomarunの星座はオリオン座@今日はエイプリルフールだけど本気だよ。 です。


先日、梅田シネ・リーブルでフランス映画『未来よ、こんにちは』を観てきました。主人公の女性の凜とした生き方と心意気に共感するとともに、運命や現実を受け入れて、負った傷も含めて自分に正直にしなやかに生きていくのが、本当の強さかもな、と思った室長です。さて、この主人公は哲学の高校教師なのですが、とにかくどこにもかしこにも本があって、どこでも読んでいるし回りも読んでいるし、もうそういう場面にめっぽう弱い室長(すぐ読書熱が出る)、、、て話は置いといて。この映画の舞台であるフランスだけでなく、多くのヨーロッパ諸国では哲学を高校の必修科目にしていることは有名ですが、もうその授業風景が!モンテーニュやルソーの精神とか理論を高校生が真剣に討論している(そしてその生徒達は多民族)。…という教育の素地があってこその、今回ご紹介する「市民教育」なのかな、と思った次第。

長坂道子『難民と生きる』新日本出版社、2017年3月

欧州に長く居住する彼女が、久しぶりに日本に帰国し、「!?」と思ったこと。例えば、大荷物をもっている老婦人を助けようと、あるいはベビーカーと四苦八苦している若いお母さんを助けようと声をかけたら、慌てて断られてしまったこと。周りの通行人は全く彼女らを無視して通り過ぎていく。困っている人に手を貸すことも、また貸されることにも不慣れな日本社会。

日本社会は、家族・地域コミュニティなど自分が所属する身近なところでは人に優しく親切ですが、赤の他人には驚くほど不親切で冷淡だと、室長も海外から帰るたびに思います(赤の他人でも、それが消費者となれば親切かも)。貧乏な人を税金を使ってまで助ける必要はない、社会的弱者は自己責任。だからこそ、子どもの時から社会の「勝ち組」になるように育て上げる(何が「勝ち組」なのかもわからないまま)。

では難民が百万単位で押し寄せている欧州はどうなのか?確かに難民排斥の政策も執られつつあるけれど、筆者の感覚では、各国間にかなりの差があるにしても、一般の人々の意識の中ではこの「難民問題」は日常的なイシュー(課題)として定着しているそうです。その典型的な姿が、自宅に無償で難民を泊め、一緒に生活する人々。混雑した場でベビーカーを押す女性を「迷惑」と捉える社会と、見も知らぬ難民を自宅に迎え入れることも厭わない社会。「他者への態度」における彼我のこの違いはどこから来るのだろう?というのが、著者の最初の疑問でした。

そこから「難民と生きる」一般のドイツ人たちと、難民をインタビューし、生の声を収録したのが本書です。彼らと共に暮らし、難民認定申請を手伝ったりドイツ語を教えたり、喧嘩したり一緒に笑ったりして自立支援をしているうちに、「難民」が「マフメド」「ウルスラ」という個人の顔に、友人の顔に変わっていく。しかも彼らには、路上に寝ている難民を泊めてあげた、という単純で当然のことをしたという意識と「無理をしていない」という態度。例えば、難民と猫を留守番に残して、バカンスに何週間も行ってしまう(笑)。そして支援という一方通行ではなく、自らも一緒に成長していることを実感し、お互いがこの出会いに感謝して、それぞれの人生を歩んでいく社会。

こうした事例を通じて、著者は最初の疑問に対する答えの一つとして、「市民教育」を挙げます。市民教育とは愛国教育ではなく、「自分が社会の構成員であり、人権を享受する権利とともに、他者のものも含めてそれを擁護する義務を負うものであることを理解させるような教育。民主主義の良い点と脆弱な点を学ばせ、過去の悲劇を再び繰り返さないためにはいかに市民一人一人の意識が必要であるかを考えさえる教育。国と国の境が何度も書き換えられたヨーロッパという土地で、なんとか平和を維持していくための協調や妥協や交渉や工夫、その具現としてのEUの理念や歴史的背景と同時に、その矛盾や問題点をも学ばせ、議論させる教育」(207—208頁)。2016年末のベルリン・クリスマス・マーケットでのトラックテロ事件のあとも、人々はそこに行き続けたし、当局も禁止や制限もせず難民排除の空気が一気に膨らまなかったことに、ドイツ市民の意地と希望をみたと著者はいいます。そして「難民を支援すること」と「(自分の)日々の享楽という自由社会の宝への愛着を持ち続け、それを死守しようとし続けること。それは共に自由で寛容な世界への希求の表れであり、地続きの一貫した態度」なのだと。