カテゴリー: 書籍

なんみんハウス資料室便り 6号

アマルティア・セン(大門毅監訳、東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力 運命は幻想である』勁草書房、2011年

みなさん!!「なんみんハウスHP」…ご、ごらんになられましたかっっ!? なんかなんか、もう嬉しいやら、いやちょっと待って、本棚がスカスカに見えるけど室長の家にたくさんあるんだから!!(読めてないだけだからっ汗)とか、PC画面に向かって叫んでみたり、左右上下にあたふたしている今日この頃!


今日はノーベル経済学賞やインド最高位の「ブラト・ラトナ賞」を受賞している著名な学者アマルティナ・センの著書を紹介します。

そもそも「アイデンティティとは複数である」と捕らえ直すことによって、他者と繋がる要素はたくさんでてくるはず。難民を発生させている紛争の根本的問題についてもクリアになり、また彼らと自分の共通点を見いだすことも、より容易になるのではないでしょうか?                      

アマルティア・セン(大門毅監訳、東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力 運命は幻想である』勁草書房、2011年

 プロローグ

 まえがき

第1章        幻想の暴力

第2章        アイデンティティを理解する

第3章        文明による封じ込め

第4章        宗教的帰属とイスラム教徒の歴史

第5章        西洋と反西洋

第6章        文化と囚われ

第7章        グローバル化と庶民の声

第8章        多文化主義と自由

第9章        考える自由

あなたのアイデンティティは何か?と問われたら、なんと答えますか?すぐさま国籍や民族を無自覚にあげる人が大半ではないでしょうか。著者が繰り返し警鐘を鳴らしているのは、まさにそこなのです。

アイデンティティが一つに固定すると、あるいは唯一のアイデンティティ(特に顕著なのが宗教・民族・国籍・性別・言語)が押しつけられると、人は簡単に好戦的となり暴力へと走り、世界中のほとんどの紛争、政治的対立、暴力事件はこれが原因である。その背景には、世界の人々はなんらかの包括的で単一の区分法によってのみ、分類できるという偏った思い込みがある—。しかし、あなたのアイデンティティはそれだけで成り立っているわけではありません。 

例えば著者は自らを「アジア人であるのと同時に、インド国民であり、バングラデシュの祖先をもつベンガル人でもあり、アメリカもしくはイギリスの居住者でもあり、経済学者でもあれば、哲学もかじっているし、物書きで、サンスクリット研究者で、世俗主義と民主主義の熱心な信奉者であり、男であり、フェミニストでもあり、異性愛者だが同性愛者の権利は養護しており、非宗教的な生活を送っているがヒンドゥーの家系出身で、バラモンではなく、来世も前世も信じていない」、そしてこれら全てが自分のアイデンティティの一部を形成しているのだ、といいます。つまり、一人の人間が同時に所属するすべての集合体それぞれが、彼に特定のアイデンティティを与えているのです。

どうでしょうか?ご自分でも一度挙げてみてください。きっともう、書ききれないほど、あれやこれやとでてくるのでは?(そのリスト、室長のと照らし合わせてみませんか?笑)

さらにアイデンティティとは、「単一的(文化や宗教)に拘束されるのではなく、複数のアイデンティティのなかから個人が理性により「選び抜く」もの」だと。つまり、個人のアイデンティティが「社会化」すると、時に、集団レベルでの対立・紛争を誘発するゆえに、集団心理に惑わされない「個人」による理性的な判断が要請されるのです。

最後に、いま声高に理想の社会の形として提唱され推進されている「多文化主義社会」とは、実はそれは「複数単一文化主義社会」なのではないか?結局は文化や伝統は一つに固定できるという、これもまたアイデンティティと繋がる固定化ではないか?(→それがまた・・・と初めの主旨に戻る)という指摘も目から鱗です。 このように、いまや常識とされている定義あるいは認識に、今一度立ち返えることによって、複雑な問題が絡み合い混然として解決の方法も見いだせないような現代社会において、人としての根本的な軸そのものを捕らえ直すことができます(こういう、水をピュッとかけられてハッとさせられる考察が室長は大好き!)。